こんにちは

今回は実家で飼っていたヨーキーまみちゃんの話です

愚かな飼い主の後悔と懺悔の長い話です。

桃が家に来る前は、もう犬は生涯飼わないと決めていました。自分には犬を飼う資格がないと思っていました。
と同時に、昔の自分にリベンジしたい。犬を看取る時、今度こそ幸せに虹の橋を渡らせてあげたい、心の奥底ではそう考えていたようにも思います。
飼うつもりがないのに看取る時のことを考えてるなんて、へんな話です。

桃を通して、今でもまみちゃんの姿を追っています。
そして、ごめんねと何度も謝っています。

桃のことを書いているブログでまみちゃんの話をするのはどうかと思っていたのですが、
亡くされた愛犬のことを書かれているブログを読んで、喪失感はみなそれぞれに抱えているのだと実感し、泣いたり勇気づけられたりしたので、私も心の整理も兼ねて書いてみようと思いました。

私が中学生1年生だった時です。帰宅すると、犬がいました。
両親が飼うほど動物好きだなんて聞いたことがなかったし、何よりドケチな父がよく許したなとまずはそっちにビックリしました。
母が一目惚れして連れて帰ってきたのですが、「ペッショップにかわいい仔がいるよ」と教えたのは父だったというのも驚きでした。
姉と私の名前の最初の字をとって「まみ」と名付けました。

父は大変な倹約家で、信念というより執念の域でした。家には装飾品ひとつなく、最小限のものしかありませんでした。髪飾りやかわいいお洋服、おもちゃを買ってもらった記憶はありません。
質素で殺風景な家に突然やって来たお姫様のようなヨーキーの女の仔。私はバカみたいに口を開けてずっと見つめていました。

両親は正直な話、面倒見のよい飼い主ではなく、金銭的なこと以外の世話は姉と私がしていました。
お小遣いを貯めては、まみちゃんにリボンを買って髪につけて、お散歩したり、ご飯をあげたり、お風呂に入れたり、すごく楽しかった。
でもまみちゃんは、父には懐きませんでしたが、そっけなくても母のことがとにかく大好き。私の片思いでした。
そんな関係が少し変わったのは私がアルバイトに行くようになってからです。
「うちの犬は寂しいと下痢をするのに留守番ばかりさせられている」と職場で話したら、
なぜか「連れておいでよ」という話になりました。
仕事中は私の傍でおとなしく寝ていましたが、職場の人が外出のついでにお散歩に連れて行ってくれたり、抱っこしてくれたり。
いつも寂しげだったまみちゃんの顔が同じ犬かと思うほど一変し明るくなりました。
それからは私にべったり。アルバイトを辞めた後も、それは変わりませんでした。

数年後、私は実家を離れました。
本当はまみちゃんを連れて出て行きたかったけれど、私と同じくらいまみちゃんラブの姉がいたので(姉も家を出ていましたが)姉の手前連れて行けませんでした。
母が「まみが玄関でずっとみーちゃん(私のことです)待ってるよ」と言われ、できる限り会いに行きました。

それから2年くらい時が経った頃、
母から「まみのチッチが出るところから膿が出ているみたいなんだけど」と相談されました。
すぐ病院へ連れて行ったところ「子宮蓄膿症」と診断されました。
母が「具合が悪いのを見ていると動悸がする。面倒を見るのが怖い」と弱音をはいたので、すぐさま引き取りました。言われなくても引き取るつもりでした。姉も引き取りたかったと思うのですが、黙って譲ってくれました。
主治医はまみちゃんがいたペットショップの専属医だった高齢の温厚な獣医さんでした。
当時の私はその先生が日本で屈指の名医だと信じ、1時間ほどかけて通院していました。
でも3週間で2キロあった体重が500グラムまで減ってしまいました。
その時の恐怖が忘れられなくて、桃には大きく育ってほしいと願いすぎてしまいました。
診察は対処療法ばかりで、病状に対する説明もありません。当時、子宮蓄膿症に対する知識もなく、どうなるか不安でたまりませんでした。
頭のどこかで助からないんだろうなとは、覚悟はしていました。

私がいないと不安がるので、まみちゃんを籠に入れて、トイレの中、お風呂の中、出かける時、いつも傍に置きました。
できる限り看病しているという自負がありました。
やがて、まみちゃんが水を飲まなくなりました。明らかに飲みたそうなのに飲まない。顔を背ける。スポイトで口の脇から水を入れてあげていたのですが、内心病気で我儘になったんだと思っていました。
でもある日、舌の先に白いポツっとしたものができたと思ったら、翌日には舌が半分壊死していました、更に次の日は完全に舌がなくなりました。

想像を絶する痛み、苦しみだったと思います。
粉っぽい濁ったおしっこ。白い米粒の塊のような便。
今までうめき声ひとつ上げなかった我慢強いまみちゃんが「つらいよ~つらいよ~」と唸るように小さく鳴き続けました。
「もう楽にしてあげてください」と先生に必死に頼みましたが、
「何言ってるの?死なせろってこと?動物はね、辛くても生きたいもんなんだよ」と相手にされませんでした。
死なせたいのではない、楽にしてあげたかっただけなんです。
病院からの帰り、ホームのベンチで泣きました。
一分でも一秒でも長く生きしてほしいと願いながら、一刻も早く苦しみから解放してあげる方法を考えていました。

ようやく、別の獣医さんのところへ行けばいいんだという当たり前のことを思いつきました。そんなことさえ今まで考えもしなかったんです。
翌日、知り合いに教えてもらった動物病院に姉と行きました。
はじめて詳細なデータが出る血液検査をされました。振り返ってみれば、前の病院で血液検査の結果を見せてもらったことは一度もありませんでした。他の病院に行ったことがなかったので、そういうものだと思っていたんです。
「毒素が全身をまわっている。今日明日中の命。これからもっと苦しくなる。可哀想だから安楽死させてはどうですか」と先生の方から提案されました。
そう言ってくれるのを期待していたはずなのに、「はい」とは言えませんでした。頭の中は「嫌だ、嫌だ」の言葉だけで埋め尽くされていました。姉がいなかったら、まみちゃんを抱きかかえ、逃げ帰ったと思います。
数分後、注射を打たれたまみちゃんは静かに息を引き取りました。13歳でした。
今のようにネットで情報がいろいろ見られるようになる直前の頃です。
そうだとしても私はあまりにも無知でした。
幸運にもまみちゃんは短命ではありませんでしたが、
犬を飼う人が当然知っているべきいろんなことを何も知りませんでした。
恥を忍んで言います。
チョコレート、エビ、牛乳、玉ねぎの入ったハンバーグ、全部あげていました。
好物だからって、喜ぶからって。
人間が食べても大丈夫なものは犬も大丈夫だと思ってました。
大馬鹿野郎です。
もっと早く獣医さんを変えていたら、もっと積極的に水を飲ませていたら、延命はせずとも、もう少し苦しませずにすんだはずです。
何より許せなかったのは、水も飲めず辛かっただろうまみちゃんに対し、「我がままになったな」と思ってしまった自分に対してです。そんな仔じゃないって知ってたはずなのに。
こんな奴、犬を飼う資格なんてないと心底思いました。今後病気になって舌が腐ったって、弱音を吐くな、痛み止めも飲むな、そんな権利お前にはないと思いました。

まみちゃんが死んでから、長い年月が流れました。
私には子供がいないので、「犬を飼ったら」とよく言われましたが、耳を塞ぎ聞かないようにしてきました。
そんな私の前に桃が現れました。
偶然と言えばただの偶然ですが、桃に出会ったのも、まみちゃんが導いてくれたのかなと思えるようなことが、いくつかありました。
このブログを始めたのも6月7日、本当に偶然なのですが、まみちゃんの誕生日なんです。

長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今回出番なかった

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Comment
私も先住犬を亡くし 自分を責め 無知な自分に心底腹がたちます。
でも・・・みんなも言うだろうし 自分も相手には言ってあげられる
まみちゃんは 幸せだったんだよ。
絶対に。
辛かっただろうし 痛かったかもだけど 見捨てられず しっかり最後まで添いとげられたことに 感謝し 桃ちゃんを愛情もって育ててあげてください
お辛い体験だったでしょうし 記事にする事で また思い出してしまったでしょうけど 忘れていない これが一番の 供養だと思います。
やさしいコメントありがとうございます。
ちょっと読んでは泣き、鼻をかんで、また読んでは泣き、鼻かんで、でした。
いろいろ感謝の気持ちを書きたいのですが、うまく言葉が浮かびません。
うんうんとうなずきながら、何度も読み返しました。
今はまだ自分を許すことはできませんが、桃をちゃんと見送れたら
許せるのかな?いや、でも桃にはめいっぱいヨボヨボになるまで
長生きしてほしいので、こんなこと考えてはいけないですね!
これからは疲れた時に思い出してもらえるような明るい記事を書けるといいなと思ってます。
まみちゃんのことを思い出して、シュンとなった時はTさんにいただいたコメントを読みます!
本当に(お仕事中)ありがとうございました(*^▽^*)
また遊びに来てくださいね♡
「まみちゃんは桃ママさんちの仔になれて
幸せだったと思うよ」、という言葉で十分です。
まみちゃんはあまり幸せな仔じゃなかったと私は思っているので、
そう言っていただけると、本当に救われます。
まみちゃんの分も桃を幸せにできるようにがんばります(*^▽^*)
心に染みるコメントありがとうございます。
何度も読み返しました。
犬を亡くした人は、同じような思いをするのかもしれませんね。
「自分を責め 無知な自分に心底腹がたつ」というみるくさんのような
愛情深い飼い主さんを持ったわんちゃんが幸せでなかったはずがありません。
絶対とても幸せだったんです。
最後まで添いとげられたことには本当に感謝しています。
少し書きましたが、姉も絶対まみちゃんに付き添いたかったはずなのに
私にその役目を任せてくれました。
まみちゃんのことは生涯忘れません。ずっと大切な宝物です。
最後に「まみちゃんは 幸せだったんだよ」と言っていただき、
本当にありがとうございます。うれしいです。